実行委員長あいさつ

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実行委員長のあいさつ

谷野 充(たにの みつる)

現・東大阪市立長瀬子育て支援センター 主査保育士

11月23日・24日の二日間「第17回男性保育者連絡会全国大会」を東大阪市に於いて開催致します。
大阪では1988年に堺市のいずみ保育園で開催して以来、25年振りの開催となります。

男性保育者のはしりとしては、戦前から保育,児童福祉問題にとりくみ,戦後,民主保育連盟を結成し,保母の地位向上につくした浦辺史(うらべあつし)氏をはじめとして、数人いますが、その頃の男性保育者は研究的・ボランティア的存在であり、将来に渡って保育現場に於いて保育を続けて行くと言う存在ではありませんでした。

戦後の日本では、将来に渡って保育現場に勤める決意をし、男性保育者1号が1968(昭和43年)4月に京都で誕生しました。
この京都の先輩は2002(平成14)年に男性保育者では初めて定年退職をされました。

翌年1969(昭和44年)には埼玉に1名、東京に2名の男性保育者が誕生し、同年の全国保育団体合同研究集会で、この3名の男性保育者と浦辺史氏とで、男性保育者の現状と将来の問題について懇談が持たれました。

1973(昭和48)年には、点の存在である男性保育者を線の存在とし、保育実践、保育運動を含めて男性保育者が交流出来る場として「全国男性保育者連絡会準備会」が第5回全国保育団体合同研究集会の場に於いて、17名の参加者で結成されました。翌年1974(昭和49)年8月の第6回全国保育団体合同研究集会の場に於いて31名の参加によって「全国男性保育者連絡会」が正式に発足しました。
この年は、保母資格が男子に対してまだ認定されていない時期であり、保育所に勤務する男子は無資格か幼稚園教諭の資格を有する者でした。
保育所側の採用内容も様々で、業務内容としては、保育者として位置づけられているものの、採用上の位置づけは「用務員」「調理員」等の名称でした。
その後保母の特例「有資格保母が採用出来ない場合、保母の定数1/3は有資格でない者を代用として認める」という枠に位置づけられるようになりました。
そして、1976(昭和51)年に日本における「保母養成校」では初めて尼崎市にある関西女学院専門学校(現.関西保育福祉専門学校)が、男性に対して「保母資格認定書」を発行したとされています。そして翌年の1977(昭和52)年に「全国男性保育者連絡会」の厚生省に対する強い働きかけの結果として、国家資格である「保母資格試験」の受験に対して、男性への門戸が開かれ、15名の男性が合格しました。

1999(平成11)年には「保母に準ずる資格」として保育現場で働き続ける男性保育者にとって長年の願いであった「男女同一資格」である「保育士」の資格が正式な資格名として認められ現在に至ります。

この紆余曲折ある「男性保育者連絡会」の全国大会に、皆様がお勤めの男性保育者所志への参加お願いの協力を求めますと共に、男女を問わずこの歴史ある大会への参加を訴えさせて頂きます。

協賛

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後援
東大阪市

大阪府

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大阪の持分は完売しました。